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2016年12月07日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(49) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(49) 大村益次郎
▲京都御所堺町御門(京都市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(11月30日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

七卿落ち

 「因州(鳥取藩)、会津の兵に令して、兵力をもって国家の害を除くべし―」
 8月16日夕刻、孝明天皇から公武合体派の中川宮朝彦親王に宸翰が下った。18日深夜、京都御所には、中川宮をはじめ、前関白の近衛忠熙、忠房父子、右大臣・二条斉敬らが続々と参内。九門は固く閉ざされ、これを薩摩、会津藩の兵が守った。非番の公家たちの参内は止められ、淀、徳島、岡山、鳥取、米沢藩の他は御所に入ることを禁じられた。
 こうして、御所では密かに会議が開かれ、その結果、尊王攘夷派の公家・三条実美らは、長州藩の暴論に従い、天皇の意を無視し、過激な尊攘論を唱えたとして厳しく非難された。また長州藩は、それまで担当していた堺町御門の警衛の任を解かれることになった。世にいう「八月十八日の政変」である。
 その後、失脚した長州藩と三条実美ら7人の公家は、再挙を図るため、一旦長州へと下ることを決めた。19日、実美をはじめ、長州藩兵、御親兵、浪士ら約2千人は、降りしきる雨の中、兵庫の港を目指し、22日、そこから総勢400人が20隻の船に分乗。長州藩領へと向かった。
(続く。次回は12月14日付に掲載します)


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