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2016年12月14日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(50) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(50) 大村益次郎
▲県庁より山口盆地を望む(滝町)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(12月7日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

手当防御事務用掛

 朝議一変は、まさに青天の霹靂であった。京都御所から追放された長州藩は、その後、巻き返しを図ろうと焦った。
 その頃、益次郎は、私塾鳩居堂を閉じ江戸を発った。山口に着くと、彼は、手当防御事務用掛に任命され、軍備の強化に当たることになった。10月24日であった。
 これより先、関門海峡で外国船を砲撃した長州藩は、海軍の主力であった庚申丸と壬戌丸が沈没。癸亥丸が大破。残るは丙辰丸のみであった。そこで陸戦防御の方針を立て、砲台の整備、兵力の増強、武器の購入などを進めることになった。

撫育方用掛

 翌月27日、益次郎は撫育方用掛の兼任を命じられた。
 撫育方は、1763(宝暦13)年、7代藩主・毛利重就によって作られた制度で、宝暦検地によって捻出した4万1608石余りを財源として、米・紙・塩・蝋の増産。瀬戸内沿岸の港湾整備。下関の海を埋め立て、藩直営の倉庫業・金融業・越荷方役所を設置するなどして事業を展開した。
 こうして得た利益が幕末に武器購入費として支出されたといわれている。
(続く。次回は12月21日付に掲載します)


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