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2016年12月28日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(52) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年(52) 大村益次郎
▲吉田稔麿殉節の地周辺の様子(京都市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(12月21日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

斬り込み

 学識の高さを評価された益次郎は、多忙をきわめた。三田尻と小郡付近の砲台築造用地の巡検。製鉄所の設置計画。装条銃取扱についての実地指導。そして、この年5月になると、鉄熕取調方を命じられた。 
 その頃、政局の中心であった京都では、三条小橋の池田屋に、失地回復を図ろうとする尊王攘夷派の志士たち約30人が集結。彼らは、同志である古高俊太郎が新撰組に捕縛されたことで善後策を練っていた。
 一方、新選組は、俊太郎から武器弾薬、諸藩士からの書簡を押収。激しい拷問を加え、尊王攘夷派の計画を白状させた。その後、新選組の近藤勇らは、三条筋の旅館や料亭をしらみつぶしに探索。ついに池田屋に斬り込んだ。
 こうして2階で行われていた密議の場は一転。怒号飛び交う戦いの巷と化した。
 この時、長州藩の出身者では、吉田稔麿が負傷後自刃。広岡浪秀、吉岡庄助が戦死。杉山松介は負傷後、藩邸に戻ったが数日後息を引き取った。捕えられた佐藤市郎、山田虎之助、内山太郎右衛門、佐伯稜威雄の4人はいずれも刑死した。
 世にいう池田屋事件である。
(続く。次回は1月3日付に掲載します)


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