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2017年01月11日

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(54) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(54) 大村益次郎
▲宇和島城の石垣(宇和島市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(1月3日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

朝敵

 京都で起こった禁門の変で長州軍は、来嶋又兵衛、入江九一が戦死。久坂玄瑞、寺島忠三郎が焼け落ちる鷹司邸で自刃。200人余りの兵士が命を落とした。この時、上京途中の毛利元徳、三条実美ら五卿は、味方の敗報を聞くと、長州藩領へと引き返した。
 この戦いで、長州藩は、先鋒の長州軍が御所に向かって砲撃したことから、朝敵の烙印を押されることになる。
 7月23日、朝廷は禁裏守衛総督・一橋慶喜に対し長州藩追討の命を下し、8月2日には幕府が、全国35藩に長州征討を命じた。この時、征長総督は、尾張藩前藩主・徳川義勝、参謀は薩摩藩の西郷隆盛であった。

奥女中

 その頃、楠本イネは、長崎と宇和島の間を往来していた。1864(元治元)年3月27日、この日彼女は、宇和島藩9代藩主・伊達宗徳に「ビットルクーキー」「ソイクルコーヒー」などの品を献上。5月18日に一旦長崎に戻ると、7月11日、宇和島藩士・大野昌三郎、娘・タカ(タダ、高子)とともに再び宇和島を訪れた。そして、この年の秋頃、13歳のタカは、宇和島藩の奥女中となった。
(続く。次回は1月18日付に掲載します)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)四境戦争 大村益次郎
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