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2017年03月01日

明治維新鴻業の発祥地、山口  「四境戦争」から150年(61) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口  「四境戦争」から150年(61) 大村益次郎
▲小郡勘場跡(小郡下郷)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(2月22日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

降 伏

 高杉晋作の挙兵後、長府に滞在していた諸隊もついに動き出した。この時、総管・赤禰武人が不在であった奇兵隊は、山縣有朋が実権を握り、他の諸隊幹部とともに、晋作に呼応。伊佐へと進軍を開始した。
 一方、諸藩に長州征討を命じていた幕府では、征長総督・徳川慶勝が、長州藩へ使者を派遣。12月19日、山口城の破却を確認すると、20日には萩へと入り、21日、城下を巡視。23日に萩を発った。その結果、長州藩の恭順を認め、征長総督府は27日に撤兵令を発し、翌1865(元治2)年1月4日、慶勝は広島を発し大坂へと向かった。こうして、第一次長州征討は、戦火を交えることなく終結を迎えたのである。

支 援

 1月6日、絵堂では、諸隊と保守派の政府軍が激突。ここに戦いの火蓋が切られた。
 翌日、諸隊は、御楯隊総督・御堀耕助ら50人余りが小郡勘場を襲撃。この時、諸隊に加担することは固く禁じられていたが、小郡の大庄屋・林勇蔵は、藩札銀35貫を融通。翌日には管内の庄屋28人を集め、身命を賭して諸隊を支援する覚悟を決めたのである。
(続く。次回は3月8日付に掲載します)


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