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2017年03月15日

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(63)大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(63)大村益次郎
▲正岸寺に水雪が降る(美祢市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(3月8日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

風 雨

 1月14日、政府軍の荻野隊は、明け方の風雨をついて、長登方面より再び攻撃を開始した。
 一方、諸隊は、長登から呑水へと引き返し、奇兵隊、膺懲隊、御楯隊、南園隊、八幡隊が周辺に地雷火を仕掛け、堤の土手で迎撃した。
 こうして激戦が繰り広げられる中、諸隊は、一部の兵が側面の山に登り銃撃を開始。奇兵隊の一部が大木津の間道を抜け、横撃を加えたため、政府軍は持ちこたえることができず赤村へ退却した。この戦いで荻野隊の火縄銃は雨にぬれたため役に立たなかった。

夜 襲

 この日、遊撃隊を率いる高杉晋作は、下関より海路を経て埴生へ上陸。陸路を吉田、伊佐へと進んだ。そして15日、大田の諸隊本陣に合流した。
 晋作は翌16日、山縣有朋ら諸隊の幹部らと協議し、政府軍が陣を置く赤村の正岸寺を夜襲する計画を立てた。
 日が暮れると、燈火を照らした遊撃隊、その左右を諸隊が燈火なしに進軍。3方面から敵陣へと迫った。
 この時政府軍は、正面から押し寄せる遊撃隊、左右に置かれた伏兵に混乱し敗走。萩方面へと総退却を始めたのである。
(続く。次回は3月22日付に掲載します)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)四境戦争 大村益次郎
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