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2017年04月05日

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(66) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(66) 大村益次郎
▲出石城跡より町を望む(兵庫県豊岡市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(3月29日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

脱 出

 「追啓 私に御尋申上候。桂小(桂小五郎)之居処は、丹波にて御座候哉。但馬にて御座候哉亦但馬なれば何村何兵衛之処に罷在候哉。委曲御存知に候はば御聞かせ被下候様相頼候。少し急に用事出来に付、御答之節、御一筆被下度奉頼上候」
 これは1865(元治2)年2月、高杉晋作が益次郎に木戸孝允(桂小五郎)の居場所を尋ねた手紙である。
 1864(元治元)年7月19日、京都で禁門の変が起こり、長州藩は薩摩・会津藩を中心とした諸藩軍と戦い敗北した。その後、孝允は、幕府による長州藩の残党狩りが行われる中、鴨川に架かる二条大橋などの下で民衆に変装し潜伏。その後も対馬藩邸などに潜んで情報収集をしていたが、危険を避けるため京都を脱出した。

潜 伏

 兵庫県豊岡市出石町。城跡に立つと眼下には碁盤の目のように整然とした町並みが広がり、遥か彼方に山々が連なる。ここは江戸時代の面影を色濃く残す城下町である。
 孝允は、出石の商人・広戸甚助の尽力により、この町に身を隠すことになった。甚助は男気のある人物として知られていた。
(続く。次回は4月12日付に掲載します)


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