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2017年06月21日

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(77) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(77) 大村益次郎
▲帯観音から眺める瀬戸内海(大島郡周防大島町)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(6月14日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

四境戦争

 長州藩との交渉が決裂した幕府は、6月7日、上関(熊毛郡上関町)、続いて安下庄(大島郡周防大島町)を砲撃した。この報告は、直ちに山口の政事堂へと発信された。この時、海軍総督兼丙寅丸船長を命じられていた高杉晋作は、木戸孝允らと今後の作戦を練っていた。
 10日、幕府軍による大島上陸、放火など悲惨な状況が山口に続々と入って来た。そこで出陣を命じられた晋作は、翌11日、部下である山田顕義を伴い、三田尻(防府市)から藩の軍艦丙寅丸に乗り出航。12日の夜、大島沖に碇泊中の幕府軍艦4隻に奇襲攻撃をかけた。
 この砲撃により、士気を高めた長州軍は、15日、大島へ上陸。17日には奪還し、19日、幕府軍の松山藩兵を撤退させた。
 その後晋作は、下関へ向かい、関門海峡で桜島丸(長州藩の名称は乙丑丸)を届けに来た坂本龍馬とともに幕府海軍を相手に戦い勝利を収めた。しかし、晋作はこの頃より体調が悪化。それにもかかわらず小倉口の戦いで指揮を執った。
 その後も戦地では奇兵隊や長府藩の報国隊が奮戦した。
(続く。次回は6月28日付に掲載します)


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