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2017年06月28日

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(78)大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(78)大村益次郎
▲長州軍の陣が置かれた法田寺(阿東生雲西分)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(6月21日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

出兵拒否

 芸州口、大島口、小倉口、石州口。長州藩は、幕府軍によって四つの境を囲まれた。
 この時すでに、薩摩藩の大久保利通は、出兵を拒否する建白書を幕府に提出していた。先に締結していた薩長同盟の実行である。これにより、薩摩藩の攻撃予定部署の萩口には兵が置かれることはなかった。
 だが、幕府軍は5万3300人と、圧倒的多数の兵力で、兵数5千人の長州藩に圧力をかけてきた。
 
石州口へ

 石州口に配置された長州軍は、清末隊、南園隊、育英隊、精鋭隊、第四大隊、須佐隊の約1千人。
 清末藩主・毛利元純を総督、吉敷毛利家出身の益田親祥を指揮役としたが、実際の総指揮官は、清末隊隊長代理である益次郎が務めることになった。
 彼は6月初旬、山口を出発、馬に跨り隊列の間に学生を従わせ、生雲の本陣へと向かった。
 「戦場に出ても、決してむやみに鉄砲玉が当たるものではない。死ぬるも生きるも、その場合の運命である―」
 益次郎は、単衣に短袴という姿で、死をも恐れぬ態度であったという。
(続く。次回は7月5日付に掲載します)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)四境戦争 大村益次郎
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