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2017年08月02日

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(83) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(83) 大村益次郎
▲長州軍が軍議を開いた机崎神社(益田市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(7月26日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

益田前哨戦

 「一、兵火のために、難儀飢渇におよび候村々は、訴え出次第速やかに処置すべきこと。一、兵士乱妨相禁じ候。自然の儀も候はば、速やかに訴え出るべし。きっと厳科に処すべきこと―」
 扇原関門を突破した長州軍は、益田の町へと向かった。この時、益次郎は、長州藩の正義を主張し、民衆を安堵させるために高札場に出師の檄を立てた。また、幕府方の福山軍、浜田軍の情勢を把握するため、稲積山に陣を構え敵の様子をうかがった。
 その後、益次郎らは、益田川の対岸にある万福寺、勝達寺、医光寺に陣を置く福山軍と益田本郷に進軍してきた浜田軍に対し攻撃を開始。日没になると横田まで引き返した。 

陸路と海路 

 その頃、須佐を出発した長州軍の北第一大隊(須佐益田兵、半大隊が参戦)、清末育英隊は、海路と陸路に別れ、益田を目指していた。
 そこで、高津に到着した須佐益田兵らは、幕府が貯蔵していた糧米3千石を奪取。高津川、益田川を渡り進軍を続けた。その後、彼らの活躍により、長州軍はこの戦いを有利に進めていくことになる。
(続く。次回は8月9日付に掲載します)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)四境戦争 大村益次郎
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