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2017年09月13日

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(89) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(89) 大村益次郎
▲周布川の向こうには大麻山が(浜田市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(9月6日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

鳶巣山

 標高82メートルの鳶巣山は、浜田市周布町を流れる周布川の下流に位置する。ここは、1228(安貞2)年に、この地の地頭職を安堵された周布氏の居城である周布城が築かれた場所で、現在は鳶巣城跡として、浜田市指定史跡となっている。
 この山の麓にある聖徳寺には、四境戦争の際、幕府方の和歌山軍が陣を置いた。本堂の柱には、当時のものと伝えられる弾痕も残されている。
 幕末、長州藩の重臣として活躍した周布政之助は、この寺を菩提寺としていた周布氏の分家筋である。

内田村の戦い

 7月13日、長州軍は、鳶巣山から川上にある内田村に布陣する松江・福山軍を対岸より攻撃するも、苦戦し撤退した。この戦いで松江軍は、西洋新式の六斤砲、カノン砲を各1門、十二ドイム砲を4門、手臼砲3門を所持していた。また、スナイドル銃や横栓元込12連発ベンセル馬上銃といった、最新の西洋式武器も備えていた。
 7月15日、長州軍の南園隊は、再び内田村を攻撃。周布川を挟んで銃砲を発した。ここで長州軍は、大麻山の浜田軍を孤立させる作戦に出たのである。
(続く。次回は9月20日付に掲載します)


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