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2017年09月20日

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(90) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(90) 大村益次郎
▲和歌山軍が陣を置いた聖徳寺(浜田市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(9月13日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

大麻山の争奪

 浜田軍が陣を置いていた尊勝寺は、大麻山の頂上より、100メートルほど低い場所にあった。
 この要害の地を攻撃するにあたり、長州軍の参謀の中には、夜襲を主張する者もいたが、益次郎は反対した。
 「我々は正義の軍であるから、白昼堂々と進むがよい。夜襲などは卑怯である。また、決して負ける心配はない」
 彼はこういうと、自ら石盤を抱え、敵状を視察したという。
 7月15日、長州軍の本隊は、午前7時より、日本海に臨む折居村から大砲を引き、大麻山へと進み攻撃を開始。当時、浜田軍は朝食の準備中で油断していた。そこで、早暁より密かに山上に登っていた長州軍は、制高作戦を取り、散兵戦術を駆使。浜田軍を潰走させた。 

周布村の戦い

 翌16日午前7時、長州軍は、大麻山より精鋭隊をはじめとする中隊、小隊が、周布村へ進み攻撃を開始。220メートルから550メートルの距離を保ち施条銃を撃った。
 一方、幕府軍も大砲や小銃などで応戦したが、正午より長州軍が周布川を渡り大砲などを分捕った。これにより、幕府方の和歌山軍は敗走した。
(続く。次回は9月27日付に掲載します)


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