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2017年09月27日

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(91) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(91) 大村益次郎
▲浜田城跡(浜田市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(9月20日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

止戦交渉

 大麻山で敗走した浜田軍は、7月16日午後2時、長州軍に使者を送り、止戦を申し出た。その後、周布村で交渉が始まり、17日、長州軍参謀・杉孫七郎は、浜田城下に駐屯する幕府軍への退去を要求。返答を18日の午前11時までと決めた。
 停戦か抗戦か。その頃、浜田城では、軍議が開かれていた。だが、防戦の目途はつかず、浜田藩主・松平武聰は、城から退去することとなり、同日夜半、松江(島根県松江市)へと向かった。水戸藩主・徳川斉昭の第10子であった武聰は、この年の4月より体調がすぐれず、この戦いでは十分に指揮を執ることができなかった。 

浜田城炎上

 松原湾の向こうには日本海が広がり、南西から、城を囲むように浜田川が流れる。整然と積まれた石組み。木洩れ日がしずかに揺れる。標高67メートルの丘陵にあった浜田城は、亀山城ともよばれ、1619(元和5)年、伊勢松阪(三重県松阪市)から入城した吉田重治によって築かれた。
 18日、浜田藩主が退去したことを知った幕府軍は、士気を失い、午後4時、城に火を放ち退去したのであった。

(続く。次回は10月4日付に掲載します)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)四境戦争 大村益次郎
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