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2017年10月18日

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(94) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(94) 大村益次郎
▲振武隊が陣を置いた江津本町(江津市)

(10月11日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

備急餅

 「御陣中兵粮夏月之儀は、別て御貯蔵六ヶ敷之所、洋人とも兵粮に相用候パンとか申候品、甚弁理之由申事に付、中島治平様承り合候て、此度備急餅と号し製造仕度奉存候」
 四境戦争が始まるひと月ほど前のこと。1866(慶応2)年5月、松下村塾出身の実業家・大賀大眉は、長州藩政府に対し、パンの製造を願い出た。パンは、夏期でも40日間の長期保存が可能で、携帯にも便利であるとし、製造費の見積もりも合わせて提出した。また、萩よりも山口の方が物価が安く、材料や製品の運搬も便利なため、パンは山口で造った方が良いともいっている。
 四境戦争の際にパンの製造が行われ、実用化されていたことは明らかでないが、同年11月、石見国に遠征中の振武隊(南園隊が他の隊と合併)は、軍制総掛の木戸孝允に、パンを1万ほど売り渡してほしいと願い出ている。これは、石見地方における兵糧米の不足を補うためであったようだ。そこで孝允は、小郡宰判の代官・北川清助に、パンを発注した。
 石州口の戦いでもパンが兵糧として用いられていたのであれば、これも勝因のひとつといっても良いかもしれない。
(続く。次回は10月25日付に掲載します)


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