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2017年10月25日

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(95) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(95) 大村益次郎
▲長州軍の戢翼団が陣を置いた浄蓮寺(和木町)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(18日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

休戦講和

 1866(慶応2)年6月7日、幕府軍艦による上関(熊毛郡上関町)砲撃によって開戦した四境戦争は、6月20日、幕府の船が広島方面へ撤退したことにより、まずは大島口の戦いが終結した。6月16日に始まった石州口の戦いは、7月18日、幕府軍の抗戦派が浜田城を自焼し退去。いずれの戦いも長州軍が勝利をおさめた。
 6月14日、高田軍による和木村(玖珂郡和木町)への砲撃によって開戦した芸州口の戦いでは長州軍は苦戦。一進一退を続け、膠着状態となっていたが、8月9日、幕府軍が大野村(廿日市市)から広島へ撤退したことにより終結した。
 9月2日には、厳島(廿日市市)の大願寺において、休戦講和が締結され、長州藩からは、広沢真臣、井上馨らが代表として出席。幕府側は軍艦奉行である勝海舟が交渉に臨んだ。
 この会談が行われたことにより、先鋒総督の徳川茂承は、9月4日、芸州口、石州口の幕府軍に解兵を命じ、広島を後にした。
 その後、幕府は正式に長州再征を中止すると、23日には、芸州口、石州口方面へ派遣した兵を引き揚げるよう命じた。
(続く。次回は11月1日付に掲載します)


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