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2017年12月13日

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(102)大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(102)大村益次郎
▲多くの船が行き交う関門海峡(下関市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(12月6日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

威圧

 「7年前、與、幕兵と構えしとき、仏船軍艦なり仏公使ロセス(ロッシュ)乗組、下ノ関に来り談判せり。仏は旧政府(幕府)を援け、ロセスも談判大に我を抑ゆるの意あり。彼、田ノ浦、文字(門司)の放火の跡を見、大いに我を責む」
 これは、1872(明治5)年11月28日、木戸孝允が岩倉使節団の副使としてフランスを訪れた際に記した日記である。
 1866(慶応2)年6月24日、四境戦争の開戦直後、孝允は下関において、伊藤博文、杉孫七郎とともに、フランス公使ロッシュと会見した。この時ロッシュは、長州藩を非難し、幕府に対し降伏するよう威圧を加えた。
 一方、小倉に滞在中の幕府老中・小笠原長行に対しては、下関で得た長州藩に関する情報を提供。長州攻撃の具体的作戦を伝授した。また、軍艦や大砲の購入に関する相談にも乗った。その後もロッシュは、兵庫において、老中・板倉勝静と会見し、幕府に対し協力姿勢を示した。また、7月20日、大坂城で死去した将軍・徳川家茂の後を託され、戦争を遂行することになった徳川慶喜も、ロッシュに対し、大小砲銃、蒸気船等の購入依頼をしている。
(続く。次回は12月20日付に掲載します)


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