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2017年12月27日

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(104) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 「四境戦争」から150年(104) 大村益次郎
▲磯御殿より望む風景(鹿児島市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(12月20日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

修好使

 1866(慶応2)年10月22日、薩摩藩から修好使として黒田清綱と東郷重持が山口へ派遣され、毛利敬親に島津久光父子の親書が渡された。それは、四境戦争の勝利を祝い、今後も互いに親睦を深めたいという内容のものであった。
 これに対し、長州藩も薩摩藩に修好使を送ることになった。この時、正使は木戸孝允、副使は河北一であった。11月16日、敬親父子の親書を携え山口を出発した一行は、三田尻より丙寅丸に乗り込むと、下関へ到着した。そこで薩摩藩士を乗せると、薩摩藩の旗を掲げ出航した。
 この航海の途中、唐津沖を通過する際、船は旗を下ろすと長州藩旗を揚げ、空砲数発を放った。すると海岸には陣羽織を着た唐津藩士らが集まり騒然としていたという。唐津藩は、小倉口の戦いで幕府軍の指揮を執っていた老中・小笠原長行の出身地であった。この時、船中においては、望遠鏡でこの様子を眺め、一笑していたという。
 こうして25日、一行が鹿児島湾に着くと、薩摩藩は21発の祝砲を発した。29日、孝允らは久光父子に謁見。親書と贈物を渡すと、翌日には洋食で盛大なるもてなしを受けた。
(続く。次回は1月3日付に掲載します)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)四境戦争 大村益次郎
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