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2018年01月03日

明治鴻業の発祥地、山口 今年は明治改元から150年(105) 大村益次郎

明治鴻業の発祥地、山口 今年は明治改元から150年(105) 大村益次郎
▲向島より防府の町を望む(防府市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(12月27日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

大村藩

 その後、鹿児島を出発した孝允らは、12月12日、大村藩領の松島に立ち寄り、そこで大村藩から接待を受け江頭隼之助から次の歌を贈られた。
 「夢の夢夢の夢にて過ぎこしを今宵はさめて君と語りつ」
 一方、その頃長州藩では、この日、益次郎が海軍用掛を兼ねることになった。彼は、四境戦争が一段落した後も軍制方面を担当し、前原一誠と陸海軍備に専念した。

イギリス艦隊三田尻へ

 12月29日、イギリス艦隊4隻が三田尻に寄港、水師提督キングと毛利敬親父子は、豪農・貞永隼太邸において会談。酒宴が催された。この時、木戸孝允、広沢真臣、井上馨らも同席した。
 翌日は敬親父子、吉川経幹らが軍艦を訪問。イギリス艦隊は日本国旗を揚げ、18発の祝砲を発し、音楽を演奏し歓迎した。

十字架

 1867(慶応3)年1月、防府の向島付近を航行中の船が、十字型の墓標を発見した。この墓はイギリス軍艦乗組員のジョン・ムルフィーのものであった。彼は、停泊中の艦内で病死し、向島の東、水尻という場所に葬られたのであった。
(続く。次回は1月10日付に掲載します)


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