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2018年01月10日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は明治改元から150年(106)大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は明治改元から150年(106)大村益次郎
▲江泊山が三田尻港を見下ろす(防府市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(1月3日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

軍備の充実

 「十一日までには兎も角、三田尻まで罷り越し、万縷貴意を得べく候。何分、山口の始末埒の明かぬ事ばかりに候。この段、御憤怒これ無き様、偏に祈り奉り候―」
 1867(慶応3)年1月6日、益次郎は、小姓役主班と海軍頭取を兼務していた前原一誠より三田尻へ赴くよう依頼があったため、それに対し返事を送った。その頃、一誠や木戸孝允は、長州藩の海軍関連のことについて、益次郎に相談することが多かったようだ。
 また、22日には、藩は兵器改良の名目で「銃器年賦購入令」を発した。これは諸士卒全部に兵器を持たせる制度で、その支払い方法は、100石以上5年賦、以下8年、12年、15年、25年の5段階に分けられていた。これもすべて益次郎の考案によるものであった。
 こうして、2月7日には銃砲はすべて西暦1861年式のものを用いるという「銃砲選定」に関する制度が設けられ、13日には、藩主・毛利敬親が「山口永住令」を発し、山口を根拠地とする意思を示した。そして、14日には第二丙寅丸を売却。藩の代表として、杉孫七郎と遠藤謹助が、イギリス商人グラバーと、第一、第二丁卯丸の購入契約を結んだ。
(続く。次回は1月17日付に掲載します)


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