アクセスカウンタ
QRコード
QRCODE
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 87人

店長情報 トップページ
店長情報

2018年01月24日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は明治改元から150年(108) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は明治改元から150年(108) 大村益次郎
▲高杉晋作終焉の地(下関市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(1月17日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

落花斜日

 1867(慶応3)年4月14日、高杉晋作が世を去った。享年29。
 禁門の変、四カ国連合艦隊による下関砲撃、第一次長州征討などの後、藩内において保守派が政権を握ると、晋作は遊撃隊を率いて挙兵。四境戦争では大島口、小倉口にて奮戦。長州藩勝利の立役者となった。しかし、戦いの途中、不調を感じ、病の床に就いていた。

兵庫開港と長州処分問題

 「大村などの議論、実に臆病者の当たるべからざる次第にて、因循の私輩赧顔の仕合せ、一言半句に御座なく候。大村氏も要路に相連り候様相考え申候―」
 長州藩の重臣・山田宇右衛門は、当時、藩に召された土佐藩士・後藤深蔵、前水戸藩士・高橋熊太郎の対決に関して、その状況を説明し、木戸孝允に意見を求めた。
 その頃、長州藩は、四境戦争後の長州処分問題、そして、兵庫開港問題の最中にいた。
 そして5月24日、朝廷は、将軍・徳川慶喜が主張する兵庫開港を許可した。また、長州藩の処分に対しても寛大な処置をすることを決めた。だが、藩には寛典処分を願い出させる形式としたため、幕府の反正の実は示されなかった。
(続く。次回は1月31日付に掲載します)


同じカテゴリー(四境戦争 大村益次郎)の記事画像
明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(185)大村益次郎
明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年
明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(182) 大村益次郎
明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(181) 大村益次郎
明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(180) 大村益次郎
明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(179) 大村益次郎
同じカテゴリー(四境戦争 大村益次郎)の記事
 明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(185)大村益次郎 (2019-07-24 00:00)
 明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年 (2019-07-17 00:00)
 明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(182) 大村益次郎 (2019-07-03 00:00)
 明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(181) 大村益次郎 (2019-06-26 00:00)
 明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(180) 大村益次郎 (2019-06-19 00:00)
 明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(179) 大村益次郎 (2019-06-12 00:00)
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)四境戦争 大村益次郎
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。