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2018年01月31日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は明治改元から150年(109)大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は明治改元から150年(109)大村益次郎
▲京都御所朔平門(京都市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(1月24日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

嘆願書

 高杉晋作が没してから数日後の4月18日、前役を免ぜられた益次郎は、再び三兵教授役として、暫時陪臣大隊用掛となった。
 その翌月24日、宮中会議において下った長州処分の内容は、藩主敬親、世子元徳の官位を復し、敬親の隠居、家督を元徳に相続、削封は取り消すという寛大なものであったが、これに対し幕府は、体面にこだわった。それは、長州藩から嘆願書を差し出させ、その後、寛大な処分を言い渡すというものだった。
 あくまで権威を示そうとする幕府は、芸州藩に仲介を依頼したが断られた。薩摩藩の小松帯刀、大久保利通は、同藩の島津久光、宇和島藩の伊達宗城、土佐藩の山内容堂、福井藩の松平春嶽ら四侯連署の伺書を朝廷に差し出した。その内容は、「そもそも、長州再征(四境戦争)という無名の帥を起したのは幕府であるから、まず長州藩に対して公明正大の御処置を下され、幕府も反正の実を示すべきである」といったものであった。
 こうした状況の中、慶喜は、長州藩から嘆願書の提出が無い限り、長州処分の実効は行えないと宣言。また、朝議においても親幕派と反幕派で意見が分かれた。
(続く。次回は2月7日付に掲載します)


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