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2018年03月07日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は明治改元から150年(114) 大村 益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は明治改元から150年(114) 大村 益次郎
▲高瀬川(京都市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(2月28日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

疑念

 薩摩藩と土佐藩が盟約を結ぶと、後藤象二郎は、山内容堂に大政奉還の建白をするため帰国することになった。そのため、山口に使者として訪れるはずであった西郷隆盛も、その結果を見て動くことになった。
 一方、山口では、山縣有朋と品川弥二郎が、藩主毛利敬親に、島津久光からの伝言を報告したが、その後、隆盛が姿を見せることはなかった。この時、長州藩では、薩摩藩に対する疑念が再び広がった。
 そして、7月15日、山口に姿を見せたのは隆盛ではなく、村田新八であった。

藩士の派遣

 6月27日、長州藩では、野村靖と岡儀右衛門を土佐藩に派遣した。
 丙寅丸に乗り込んだ彼らは、土佐に到着すると、病気療養中であった山内容堂のもとを訪れ、藩内の近況を尋ねた。
 そして、7月17日には、品川弥二郎と世良修蔵に上京を命じ、薩摩藩の村田新八もこれに同行。7月19日には、柏村数馬にも上京を命じた。
 27日に山口を出発した数馬は備前で御堀耕助と合流。8月11日、京都の薩摩藩邸に入り、18日、大坂へ行き、小松帯刀と面会した。
(続く。次回は3月14日付に掲載します)


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