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2018年09月12日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は明治改元から150年(141) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は明治改元から150年(141) 大村益次郎
▲薩摩軍が陣を置いた御香宮神社(京都市)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(9月5日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

伏見での開戦

 伏見は、水と酒の町である。町を流れる宇治川派流には十石船がゆったりと進み、桃山丘陵でこされた水は、地下の水脈を通りやがて湧水となる。そのまろやかな中硬水が酒造りに適しているという。
 この町で戦闘が始まったのは、鳥羽方面から砲声が聞こえて間もなくのことであった。旧幕府軍が伏見奉行所より軍を進め発砲したのである。
 この時、御香宮神社前からは、薩摩軍と第二中隊(旧遊撃隊)が進み、第六中隊(旧第二奇兵隊)は毛利橋より京橋の旧幕府軍を攻撃。その後、市街戦となった。
 この戦いで両軍は激戦となり、天地を動かすほどの砲声が町中に響きわたった。燃え盛る炎はまるで空を焼き尽くすかのようであった。
 その混乱に乗じて、長州、薩摩両軍は敵兵を狙撃するが、旧幕府軍は奉行所を固く守り、退却しなかった。
 そこで、第二中隊の後藤深蔵、宮田半四郎は、兵を率いて奉行所の裏手にある竹林に回り、そこから突撃するが、深蔵は砲弾にあたり戦死した。半四郎は、薩摩軍の援助を受け、兵を率いて決死の覚悟で奉行所に火を放つも、その後負傷し絶命した。
(続く。次回は9月19日付に掲載します)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)四境戦争 大村益次郎
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