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2019年03月13日

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(166) 大村益次郎

明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年(166) 大村益次郎
▲江戸城坂下門(東京都千代田区)

実際の紙面はコチラ(公開期間は発行から1カ月間です)

(3月6日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

分裂

 義兄弟の契りを結んだ渋沢成一郎と天野八郎だが、その後、穏健派の成一郎と、強硬派の八郎は、次第に対立するようになった。
 成一郎は、隊士を幕臣に限っていたのに対し、八郎は、身分や器量にかかわりなく隊士を受け入れており、両者の確執は激化していった。
 やがて、彰義隊は分裂し、成一郎らは強硬派とは一線を画し、寛永寺の北にある天王寺へと移った。
 主導権を握ることになった八郎は、積極的に入隊希望者を採用し、勢力を拡大していった。旧幕府諸隊、脱藩浪人なども加わり、その数は2千から3千人といわれるほどにまで膨れ上がった。

駿府入城

 3月6日、親征大総督・有栖川宮熾仁親王が率いる東征軍は、駿府(現・静岡県)へ入城した。
 駿府は、江戸と京都を結ぶ要衝の地である。
 江戸幕府を開いた徳川家康は、秀忠に将軍職を譲ると、この地に城を構え、朝廷と西南諸藩をけん制したという。
 東征軍は、この地を占領することで、勝利の確信を持った。江戸城総攻撃は15日と決まった。
(続く。次回は3月20日付に掲載します)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)四境戦争 大村益次郎
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