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店長情報

2002年03月24日

札の辻・21

 米山荘が料亭としての店を閉じることになった。
 長い間出入りした身にとっては想い出も深く、惜別の情しきりである。
 国道9号線バイパスの開通するまでの米山荘裏は、県庁前から荻峠を越える旧道が通 るのみで、鴻ノ峯からせり出した台上にある屋敷は老松老杉に囲まれ、四季の風に松籟を、夜更けては梟の声も聞いた。
 自然林と調和した広大な庭園の一角には孟宗の竹林もある。
 先代の八木さんが存命だった頃の春の夜、話し相手として招かれたことがある。料理には旬の魚のほかに朝掘りのタケノコの木の芽和えも出た。最後はミツバめしである。庭隅に伸びた新芽のミツバを塩茹でし、茎だけを細かく刻み、炊き上がったばかりの御飯に混ぜ合わせたもので、噛んでふくめるようなおだやかな八木さんの話と、香り高いとれたての春の味覚が今によみがえってくる。
 米山荘はもともと料亭ではない。
 大正末期に建築された八木家の私邸である。
 鴻ノ峯を背にし、前方に山口盆地の街並みが眺望できる高台にある屋敷は、終戦時に占領軍に接収された。そして接収解除後に料亭として再出発したのである。
 自治省次官から日本テレビの会長となった小林与三次氏は、来山のたびに米山荘での食事を楽しみにしていたが、それが茶ガユであった。小林さんは「ここの茶ガユと漬け物は長州の味である」と喜ばれ、その当時の女将だった故黒川玲子さんは、小林さんからお礼にと日本テレビ本社内にある割烹「作古亭」に招待をうけたこともある。
 米山荘にはこれからタケノコが生え、ミツバが伸び、石楠花からサツキへと花がつづき、やがて赤松の梢に春が行く。 (鱧)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)札の辻
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