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2002年04月21日

札の辻・21

 街道の数だけ物語がある-というキャッチフレーズで、朝日新聞の「日本の街道」が刊行された。
 人、風土、旅情をたどる企画で第1号は京都・若狭街道、いわゆる鯖街道の紹介である。
 中世以降日本海の若狭湾でとれた魚のカレイ、小ダイ、トビウオ、アジなどが小浜から一昼夜で京都まで運ばれたが、その代表格はサバであったという。
 日本海の魚を内陸部に運ぶ街道としてはほかに鰤街道がある。
 中部山岳地帯の飛騨や信濃(松本・伊那地方)では正月用の魚としてなくてはならないものにブリがある。ブリは越中の富山湾や能登半島の海でとられ、塩をして運ばれた。飛騨地方ではこれを越中ブリというが、信濃ではこれを飛騨ブリと呼んだ。勿論飛騨でブリがとれるのではないが、富山から中継地の高山を経たブリが、さらに野麦峠を越えて信州へと送りこまれたことから生じた呼び名であるという。
 645年(大化年代)に国家体制が整えられ、全国的に行政区画として安芸、長門といった国が設置され交通 路が発達し、東海、北陸、山陽、南海、など7つの道ができてきたが、本格的に街道とされたのは江戸期に入ってからで、幕府は江戸日本橋を起点に、東海道、中山道、日光街道、甲州街道、奥州街道を五街道とし、それに伴う脇往還ができ中央と地方、町と町を結ぶ主要交通 路となり、街道筋と呼ばれる宿場に経済・文化が発達した。
 ところで山陽道は徳川幕府の政策により五街道からはずされ脇街道とされていたが、九州や西国諸藩の参勤交代の要路として整備拡充されたのは1600年代である。兵庫の西宮から下関までに46の宿駅を持ち、各宿に盛衰の日月が刻まれてきた。    (鱧)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)札の辻
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