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2003年11月23日

札の辻・21

 久しぶりに茨城県から訪れた友人の手土産は、秋田の銘醸”久保田”であった。
 久保田とは佐竹氏20万石の旧城下町のことで、現在の秋田市である。
 久保田藩は戊辰戦争のとき、東北でただ1藩だけ官軍側につき、南から仙台藩・庄内藩、北から盛岡藩に攻撃され、領内の大半を焼かれながらも、奥羽征討軍の来援まで反撃し最後には勝利を得ている。
 久保田藩の初代藩主は常陸(水戸)から国替えされた佐竹義宣で、以来明治維新まで佐竹藩とも呼ばれた。
 その水戸と秋田の関係から友人は銘酒久保田を持参したのではなく、太平山や清水と並び秋田を代表する銘柄であることからだと思う。
 ところで久保田藩は戊辰の戦い以前にも長州としてはいささかゆかりがある。それは吉田寅次郎(松陰)が、嘉永5(1852)年の東北の旅の途中、象潟を過ぎ雄物川を渡り、2月24、25日と久保田に滞留し、26日に馬で大館へと向かっている。
 吉田松陰の東北遊暦日記を読むと、会津でもそうだが、関心は庶民の生活に向けられていて藩勢の調査ではない。
 出羽路に入ってから数日間は行き交う人々の風俗に目を奪われ、この地方の女性は「顔面を包み、頭を覆い、わずかに両目を出すのみ」と記し、通りがかりの農民からは天保の飢饉で多くの餓死者が出た実態を聞き、きびしい状況にある東北農民の姿におどろく。
 現在の秋田は小町と呼ぶ美人や良米に恵まれ、これからは鰰もうまい。今宵は大吟醸久保田でみちのくの初冬を偲ぶことに。       (鱧)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)札の辻
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