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2004年04月04日

札の辻・21

 馬酔木の匂う唐津城公園から見おろす唐津湾には、10数隻のヨットの白帆が、対馬海流と風に乗ってゆっくりとした帆走を見せていた。
 まだサクラが満開以前の3月下旬、佐賀県の唐津市に行った。
 唐津湾は古くは松浦潟と呼ばれていた。
 その頃は朝鮮半島や中国大陸との交易が、日本列島の中でもっとも盛んな港であった。
 唐津という地名の由来をたどれば、唐、韓、そして天竺などの外国へのつながりを持つ外航船の基地という意味がこめられている。
 豊臣秀吉が朝鮮半島を攻撃した文禄・慶長の役での出陣もこの海域からであった。その結果は惨敗に終わったが、救いがあったのは陶磁文化の到来である。唐津、有田、伊万里、萩、薩摩などで日本陶磁器の歴史がはじまった。
 唐津は城と橋と海の町である。
 唐津城は唐津藩の初代藩主寺沢広高が1602年に築城した。広高はキリシタン大名だともいわれている。北原白秋は唐津に旅をして異国情緒を感じ「邪宗門」を作詞した。
 城は北側を玄界灘に、東の松浦川と南の町田川を外濠・内濠とした海城である。その点、松本川と橋本川を利用し、日本海を背にした萩の指月城と似ている。
 夕刻、松浦川に架かる舞鶴大橋を渡り町へ出た。大名小路、刀町、紺屋町という町名に城下町の面影を偲ぶ。
 小体な居酒屋で地酒にイカの活きづくりとアラの煮付を食べる。
 唐津湾のさざ波のように、玄海の味覚が口にひろがる。(鱧)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)札の辻
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