2004年11月28日
札の辻・21
芭蕉が亡くなったのは1694(元禄7)年旧暦の10月12日だった。新暦に換算すると今年は11月24日にあたる。今から310年前になるが芭蕉は51歳で現在にすればまだ若い。以後江戸時代から命日を芭蕉忌又は時雨忌と呼んでいる。
芭蕉は裕福でなく江戸深川の草庵で平凡な市井の生活を送る中、
「もらふてくらひ、こふてくらひ、やをらかつえもしなず」(貰って食い、乞うて食い、どうにか飢えて死ぬことなく)と俳文に書いている。
雪の朝独り干鮭を
噛得たり
芭蕉が38歳の句で、俳人として自己を見定め、孤独に耐えつつ干鮭を噛む姿に哀感がにじむ。
芭蕉の人生の後半は旅にあった。
「草庵に酒肴さげ来りて行くへを祝し」と旅立ちに集まった門人達に囲まれる芭蕉だが、酒は好きで「辛口一升乞食申度候」と旅先で酒造業の俳友に無心をしている。
干鮭のように食べ物にはぜいたくをせず北島広敏著「喰べる芭蕉」によると雑炊鍋をよく友人と楽しむことが多かった。
鍋を囲む、それは日本特有の共食形態で、海や山からの獲物を味覚が失われぬうちに鍋にしての団らんである。
わが中学時代(旧制)にUという越後訛りの強い国漢の先生がいて、魚屋から鮭の頭を手に入れ、石狩鍋をつくることを教えてもらった思い出がある。いま鮭の頭だけをスーパーでも売っている。あとは豆腐と冬野菜があれば良い。ミソと酒粕で味をつける。
木枯の季節、いよいよ鍋奉行の出番だ。 (鱧)
芭蕉は裕福でなく江戸深川の草庵で平凡な市井の生活を送る中、
「もらふてくらひ、こふてくらひ、やをらかつえもしなず」(貰って食い、乞うて食い、どうにか飢えて死ぬことなく)と俳文に書いている。
雪の朝独り干鮭を
噛得たり
芭蕉が38歳の句で、俳人として自己を見定め、孤独に耐えつつ干鮭を噛む姿に哀感がにじむ。
芭蕉の人生の後半は旅にあった。
「草庵に酒肴さげ来りて行くへを祝し」と旅立ちに集まった門人達に囲まれる芭蕉だが、酒は好きで「辛口一升乞食申度候」と旅先で酒造業の俳友に無心をしている。
干鮭のように食べ物にはぜいたくをせず北島広敏著「喰べる芭蕉」によると雑炊鍋をよく友人と楽しむことが多かった。
鍋を囲む、それは日本特有の共食形態で、海や山からの獲物を味覚が失われぬうちに鍋にしての団らんである。
わが中学時代(旧制)にUという越後訛りの強い国漢の先生がいて、魚屋から鮭の頭を手に入れ、石狩鍋をつくることを教えてもらった思い出がある。いま鮭の頭だけをスーパーでも売っている。あとは豆腐と冬野菜があれば良い。ミソと酒粕で味をつける。
木枯の季節、いよいよ鍋奉行の出番だ。 (鱧)
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)
│札の辻