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2004年12月12日

札の辻・21

 雲の間からやわらかな初冬の陽がこぼれる日、私は若い時からお世話になった先達の告別式に参列した。
 先達とは元山口県出納長の佐伯正重さんで思い出も深い。
 1970年に関釜フェリーが就航する2年前、新航路開設の事前交渉に当たった当時の井川下関市長、佐伯県商工水産部長らに放送記者の私が同行取材したことがある。1965年に日韓条約と季承晩ラインをめぐる日韓漁業協定がようやく締結された間もなくの頃で、釜山もソウルも53年に終結した朝鮮戦争での被災地域復興が進行中で、ソウル市内にあるアリラン峠付近の街区にはまだバラック建ての民家が軒を並べていた。
 当時のソウルに実業家で政府要員もつとめる旧制山口高商出身の権炳鎬氏が居た。氏は訪韓した佐伯さんと私を戦後はじめて会う山口人だと大いに喜び、大統領官邸の青瓦台など市内を案内した。なかでも思い出に残るのは氏の所有するソウル郊外の農園の食堂で2人が地鳥料理タッカルビを御馳走になったことで、佐伯さんは「阿東に居るようなのー」と大喜びでマッコリの盃を重ねた。
 その後山口では銭湯小路の紀文でよく会った。酒が入ると太平洋戦争で従軍したインパール作戦での苦戦と戦死した戦友に話が及び、涙で声をつまらせることもあった。
 告別式の弔辞で元副知事の村岡満氏は、「佐伯さんは仕事熱心でやさしい人柄に包まれた人生の達人だった」と述べる。
 読経の間、祭壇の白菊に囲まれた遺影を見つめていたら「ヤーレン」という声が聞こえてくるような気がした。  (鱧)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)札の辻
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