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2005年11月13日

札の辻・21

 何千年もの間、暗い海底にひっそくしていた朝鮮青磁や中国白磁が、深く遠い歴史を浮かび上がらせるように、いま展示ケースの中で輝いている。
 県立萩美術館・浦上記念館で開催中の「東アジア中世海道、海商・港・沈没船」の展覧会を見る。海は太古から大陸と半島それに島々を結びつけて、人間、もの、文化の交流を果たしてきたくらしの揺籃であった。
 博多・堺の商人像、豊後府内(大分)の南蛮貿易、大内氏と勘合貿易、琉球、対馬など12~16世紀にかけて、東南アジアの国々とつながりを持った地域別に展示ゾーンが構成してあるが、やはり大内氏関連に惹かれた。
 『周防国山口を拠点とする大内氏は、京都で室町幕府の政治に関与しながらも朝鮮や明との交易も頻繁に行った。また博多へも進出し、当地の聖福寺や承天寺の禅僧に外交の実務をゆだねつつ支配者少弐氏と抗争し、1478年以降は博多の地を制圧し貿易船の根拠地とした。また朝鮮と通交中の1453年には、「琳聖太子入日本之記」という国史資料を朝鮮側に求めている。これを重くみた国王は、室町幕府に派遣する使節を山口に立ち寄らせ、朝鮮通信符を大内氏に交付した』と解説があり、山口市教育委員会からは、大内館と町並遺跡の調査報告が紹介されていた。
 黒潮を母体に台湾暖流、蘇北沿岸流、魯北沿岸流を含む東支那海の潮流図も示され、季節風の変化も激しい海域を渡った遣唐・遣明船の航行のきびしさを偲ばせる。
 想う、画僧雪舟の山口から博多・五島を経て、さらに寧波への風と雲と波の旅路を。   (鱧)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)札の辻
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