2006年06月11日
札の辻・21
ハダカ一貫から今日の会社を築いた大隅健一と大隅企業グループの歩みーーと題したビデオ版の披露と、社主大隅健一氏を囲む集いに出席した。
60年の社史としながらも映像は大隅健一氏のこどもの頃から今日の企業グループに至るまで95年の歳月をたどったもので、波乱万丈ともいえる氏の人生航路を浮き彫りにした見応えのあるものであった。
9人兄弟の長男として子守に明け暮れた幼年期、大正8年頃、人力車に乗り洋服に靴を履いた中原中也兄弟を見てうらやましく思い、筒袖にゾウリのわが身がわびしかった小学生時代、北九州での丁稚奉公や工員としての苦闘の青春など、いま功なって関門海峡を眺めながら、当時を回想し語る95歳の氏の姿に人生の潮流が重なる。
思い出がある。28年前サンデー山口の創刊当時、先代社長開作惇氏の希望で、「山口あの人、この人」を私が連載することになったが、その第一回に大隅健一氏を選んだ。最も山口らしい匂いを感じさせる男だーーと思ったからである。
その取材のとき、健一氏は北九州での苦労談を述べ、ゴーリキーの「どん底」をかくれて読んだ事も語ってくれた。
ビデオ披露のあとの祝宴のスピーチで、同社顧問弁護士の末永汎本氏は「30年前、私の弁護士開業の激励会で挨拶された大隅さんが、中国の詩人陶靖節の帰去来の詩から『田園まさに荒れなんとす』の一節を引用されたことを今も忘れ得ない」と話して、やはりその帰去来の末節「天命を楽しみてまた何をか疑わん」の言葉を贈り大隅健一氏の長寿を祝った。
(鱧)
60年の社史としながらも映像は大隅健一氏のこどもの頃から今日の企業グループに至るまで95年の歳月をたどったもので、波乱万丈ともいえる氏の人生航路を浮き彫りにした見応えのあるものであった。
9人兄弟の長男として子守に明け暮れた幼年期、大正8年頃、人力車に乗り洋服に靴を履いた中原中也兄弟を見てうらやましく思い、筒袖にゾウリのわが身がわびしかった小学生時代、北九州での丁稚奉公や工員としての苦闘の青春など、いま功なって関門海峡を眺めながら、当時を回想し語る95歳の氏の姿に人生の潮流が重なる。
思い出がある。28年前サンデー山口の創刊当時、先代社長開作惇氏の希望で、「山口あの人、この人」を私が連載することになったが、その第一回に大隅健一氏を選んだ。最も山口らしい匂いを感じさせる男だーーと思ったからである。
その取材のとき、健一氏は北九州での苦労談を述べ、ゴーリキーの「どん底」をかくれて読んだ事も語ってくれた。
ビデオ披露のあとの祝宴のスピーチで、同社顧問弁護士の末永汎本氏は「30年前、私の弁護士開業の激励会で挨拶された大隅さんが、中国の詩人陶靖節の帰去来の詩から『田園まさに荒れなんとす』の一節を引用されたことを今も忘れ得ない」と話して、やはりその帰去来の末節「天命を楽しみてまた何をか疑わん」の言葉を贈り大隅健一氏の長寿を祝った。
(鱧)
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)
│札の辻