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店長情報

2006年09月03日

札の辻・21

 先日台風10号の雨もあがり風さわやかな夕刻、菜香亭の庭園で生ビールを飲む集いがあり、約70名の人たちがジョッキを片手にヤキトリなぞつまみながら、中河原の餅店主人浜屋氏が持参の昭和初期の蓄音機とレコードに耳を傾けた。
 近代日本食文化年表によると、1860(万延元)年に遣米使節一行が米艦ポーハタン号の艦上で開かれたワシントン大統領生誕記念パーティーに列席し、ブリキ製のジョッキで日本人としてはじめてビールを飲んだ。随員の仙台藩士玉虫左太夫は「苦味なれど口をうるおすに足る」と異国の味を記録する。
 1872(明治5)年に大阪商人渋谷正三郎が、米人の指導で日本産の大麦による国産ビールを造ったが採算がとれず10年余で店を閉じた。
 国産ドイツ風ビール「麒麟麦酒」が誕生したのは1888(明治21)年で、明治屋が総代理店になって全国に販売され、それまでの英国風ビールに代わり、人気はドイツビールに移っていく。
 1888年といえば、菜香亭が店内に西洋料理の席室を持ったのが前年の1887(明治20)年のことだから、当時の山口の人たちもビールを飲んだことだろう。
 大正期になると北原白秋は「ビイル樽」の歌を作詩した。

 コロガセ、コロガセ
 ビイル樽
 赤イ落日ノナダラ坂
 トメテモトマラヌモ
 ノナラバ、コロガセ
 コロガセ、ビイル樽。

 蓄音機から流れる二村定一の唄声と共に、明治の庭で開かれた生ビールの宴は終わった。 (鱧)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)札の辻
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