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2006年11月26日

札の辻・21

 国民文化祭で来山の皇太子殿下は中原中也記念館を見学された。
 案内の福田百合子館長が取材陣に明かしたところによると、殿下は熱心に質問され中也に関心を深められたらしい。
 中原中也が亡くなったのは69年前、1937(昭和12)年の10月で30歳だった。
 中也の実弟中原思郎氏の「兄、中原中也と祖先たち」によると、臨終の中也はお母さんの指をタバコを吸うときのように2本の指ではさみ、奇蹟的に声を出し「お母さん、僕は本当は孝行者だったんだよ」といって「今にわかるよ」とつけ加えたとある。
 中也には「宿酔」という詩がある。
 朝、鈍い日が照ってて
  風がある
 千の天使が
 バスケットボールする

 私は目をつむる
  かなしい酔ひだ
 もう不用になった
 ストーヴが白っぽく
 銹びている。
深く、暗く澱んだ沼のような朝の無気力な情態の表現だ。
 その頃、初対面だった成城高校(現成城大)ドイツ語の小出教授に酒席でからみ、あとで詫び状を出している。
○自分に挑戦することが
 まるで人に挑戦するよ
 うなふうになって、済
 まないことです。以後
 つつしみます。
と。また宿酔の頭で書いた日記には「酒というものはフィジックなものである。精神は困り抜くとフィジックな慰楽を要求するが、ガブガブ飲むことは恥ずべきことだ」とも。
 吉敷にある墓碑の戒名は「放光院賢空文心居士」である。  (鱧)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)札の辻
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