2006年12月03日
札の辻・21
NHKのOBでFという友人がいる。彼は沖縄に勤務していたから琉球泡盛を愛飲しており、私も若い頃東京池袋の沖縄料理店「おもろ」で泡盛の味を知った。
F氏は現在宇部に住んでいて、時どき同好の士をあつめホテルで泡盛パーティーなどやっているようだ。招かれるのだが日程の都合でまだ参加したことがない。
先夜、久しぶりに彼が泡盛をさげて来山したので、友人たち4、5人が集まって飲んだ。
戦前、沖縄日報の記者をしていた評論家の古波蔵保好氏に「おもろ」で聞いた話だが、太平洋戦争以前の那覇の料亭では、客が地酒の泡盛を飲むときは酒代はタダで、料理代だけだったという。古波蔵さんは料亭が気前よくしたのは泡盛が当時は安酒だったからで、記者連中は日本酒を飲まず泡盛で酔ったものだと言って笑った。
日本米でなく脂肪の薄いタイ米で造る泡盛は、飲みつけるとさわやかな甘さが舌に残る。
F氏は秋田放送局にもいたことがある関係で、秋田名物「いぶりがっこ」を送ってもらったこともあった。
東北の秋は早くかけ足で雪となる。農家では土間つづきの囲ろりの焚火で暖をとる。その煙は天井に吊るされた干たくあんを縫ってのぼる。煙のいぶしにより燻製の風味が加わる。これをさらに酒粕に半月ばかり漬け込むと茶褐色に仕上がる。
薄切りにして口に含んで噛むと、そこはかとなくみちのくらしい素朴な味がする。ガッコとは漬け物の秋田弁である。
南国の古酒にほろ酔となり、木枯の夜に北国の味を思い出した。 (鱧)
F氏は現在宇部に住んでいて、時どき同好の士をあつめホテルで泡盛パーティーなどやっているようだ。招かれるのだが日程の都合でまだ参加したことがない。
先夜、久しぶりに彼が泡盛をさげて来山したので、友人たち4、5人が集まって飲んだ。
戦前、沖縄日報の記者をしていた評論家の古波蔵保好氏に「おもろ」で聞いた話だが、太平洋戦争以前の那覇の料亭では、客が地酒の泡盛を飲むときは酒代はタダで、料理代だけだったという。古波蔵さんは料亭が気前よくしたのは泡盛が当時は安酒だったからで、記者連中は日本酒を飲まず泡盛で酔ったものだと言って笑った。
日本米でなく脂肪の薄いタイ米で造る泡盛は、飲みつけるとさわやかな甘さが舌に残る。
F氏は秋田放送局にもいたことがある関係で、秋田名物「いぶりがっこ」を送ってもらったこともあった。
東北の秋は早くかけ足で雪となる。農家では土間つづきの囲ろりの焚火で暖をとる。その煙は天井に吊るされた干たくあんを縫ってのぼる。煙のいぶしにより燻製の風味が加わる。これをさらに酒粕に半月ばかり漬け込むと茶褐色に仕上がる。
薄切りにして口に含んで噛むと、そこはかとなくみちのくらしい素朴な味がする。ガッコとは漬け物の秋田弁である。
南国の古酒にほろ酔となり、木枯の夜に北国の味を思い出した。 (鱧)
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)
│札の辻