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2007年11月17日

札の辻・21

 このほど東大阪市の司馬遼太郎記念館から、菜の花の種袋が届き次の添え書きがあった。
 「来年2月恒例の菜の花忌をめざし、記念館内外で菜の花栽培準備を進めています。いつも遠い山口から記念館を支えて頂き本当に有難うございます。瑠璃光寺の文学碑のまわりに育てて下されば幸いです」と。
 生前司馬遼太郎は菜の花が好きだった。菜の花が咲く頃になると郊外に出かけ、田園地帯や川土手に咲く黄色い花を眺めた。後期を代表する彼の作品は淡路島の貧農の子に生まれながら、北洋漁業で活躍し後年外交史にも名を残した高田屋嘉兵衛の一代を書いたもので、題名は「菜の花の沖」であった。毎年司馬の命日2月12日は菜の花忌として東京と大阪で交互にシンポジウムを開き、明年は12回目を日比谷公会堂で「街道をゆく」がテーマとなった。
 瑠璃光寺五重塔脇にある文学碑は「街道をゆく」の第一巻長州路の中の一節「長州はいい塔をもっている。長州人の優しさというものは、山口に八街九陌をつくった大内弘世やザビエルを保護した義隆などの大内文化を知らねばわからないような気もする」が刻まれている。
 送ってきた花の種は早咲種とのことで、早速文学碑建立のグループで播種することにした。
 「世に棲む日々」の松陰、「花神」の大村益次郎など、司馬遼太郎は噂にあるような長州嫌いではないと想う。 
        (鱧)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)札の辻
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