2009年02月07日
札の辻・21
先週松永祥甫氏が97歳の天寿を全うして急逝された。
私が松永さんに初めて会ったのは1956(昭和31)年5月だった。誕生したばかりのラジオ山口(現山口放送)で、県教育長から就任された初代の野村幸祐社長に、当時教育庁総務課長の松永さんを、君の山口高商の先輩だと紹介されて以来のつき合いとなった。
思い出がある。県立博物館で吉田松陰遺墨展があったとき、野村さんは私に「松陰語録のヒジチョウモクを知っちょるか」と聞かれ「飛耳長目」ですと答えると「違う長は張だ」と言われ「どちらが正しいか松永祥甫君に聞け、もしワシが負けたら飛耳長目と揮毫して君にやる」となった。松永さんに聞くと「あんたが勝ち長です」との返事で早速野村さんに伝えると「よし負けた」といわれ3カ月後に見事に表装した軸が届いたが、頑固に長は張となっていた。松永さんに告げると「弓偏にすることもアリマス」と応答があり、更に松永さんから張の飛耳は二つとない、大事にしたらとつけ加えられた。
私はそのときより、故人は気くばりの深い人だと思っている。
思い出はつづく。作家今日出海に「天皇の帽子」がある。昭和天皇に松永さんの風貌は似通っているのでと、卆寿の祝に有志でソフト帽を贈った。氏は畏多いが有難いと喜ばれる。
明治男の「それぢやまあアッ」の声はもう聞かれない。 (鱧)
私が松永さんに初めて会ったのは1956(昭和31)年5月だった。誕生したばかりのラジオ山口(現山口放送)で、県教育長から就任された初代の野村幸祐社長に、当時教育庁総務課長の松永さんを、君の山口高商の先輩だと紹介されて以来のつき合いとなった。
思い出がある。県立博物館で吉田松陰遺墨展があったとき、野村さんは私に「松陰語録のヒジチョウモクを知っちょるか」と聞かれ「飛耳長目」ですと答えると「違う長は張だ」と言われ「どちらが正しいか松永祥甫君に聞け、もしワシが負けたら飛耳長目と揮毫して君にやる」となった。松永さんに聞くと「あんたが勝ち長です」との返事で早速野村さんに伝えると「よし負けた」といわれ3カ月後に見事に表装した軸が届いたが、頑固に長は張となっていた。松永さんに告げると「弓偏にすることもアリマス」と応答があり、更に松永さんから張の飛耳は二つとない、大事にしたらとつけ加えられた。
私はそのときより、故人は気くばりの深い人だと思っている。
思い出はつづく。作家今日出海に「天皇の帽子」がある。昭和天皇に松永さんの風貌は似通っているのでと、卆寿の祝に有志でソフト帽を贈った。氏は畏多いが有難いと喜ばれる。
明治男の「それぢやまあアッ」の声はもう聞かれない。 (鱧)
Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)
│札の辻