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2009年05月30日

札の辻・21

 市内宮野に大山路と呼ぶ地区がある。1841(天保12)年の防長風土注進案で宮野庄・中村の項に大山路、灰屋、堂道等の集落名と「気候は暑気薄く積雪六・七寸なり」の記載もある。
 萩・東光寺窯で旧藩士に作陶の指導をしていた大和作太郎が、山口へ移住し良質陶土の出る大山路へ開窯したのは、1890(明治23)年で山口町発足の翌年であった。
 作太郎は1921(大正10)年に66歳で亡くなるまで、萩焼伝統技を軸に陶磁器のより高い完成度に挑み、長門峡を画く高島北海など在住画家の絵付磁器もつくり、一方では小月、西ノ浦、須佐と県内各地の窯元で技術指導をしている。
 ホタルの夜も近い大山路に大和保男窯を訪ねた。6月3日より京都大丸デパートでの「父子展」を控え多忙な保男、努の両氏に祖父作太郎翁に対する感想を聞く。
 保男氏は「先々代の遺作から芸術的価値観は時代や年齢に関わりなく伝わり作風の深さを識る」と述べ、努氏は「大山路の土でつくられた水差しの色と型の斬新的な感性におどろく」と話す。
 幕末から明治に関する長州と土佐の精神的風土を探索した司馬遼太郎は「人と土地に残映や痕跡らしきものを感じ、所詮人間は風土的条件と歴史的背景から切り離しては存在しないことを知る」と書く。
 大和作太郎翁の陶歴は山口だけでなく県内各地に及んでいる。(鱧)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)札の辻
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