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2011年03月12日

札の辻・21

 先月末に長崎の物産展が市内のデパートであり洋風プロフィルの町並みを思い出して出かけた。
 下関生れの林芙美子は―長崎の石畳の多い波止場で義父が支那人と店を並べ、セリ売りをして昼食にチャンポンの一杯を親子で分け合った―と自著“清貧の書”に書いている。その長崎らしさのチャンポンと餃子、カステラを買う。
 江戸期の鎖国時代に長崎だけは中国、オランダ、ポルトガルとの交易が許されていたことから、東西の味覚が今日にまで重なってきた。
 長崎県域の北端は平戸市である。
 1551年フランシスコ・サビエルは鹿児島、平戸経由で山口へ来た。平戸には現在サビエル記念碑やキリシタン集落跡がある。室町期の大内氏は鎖国の江戸期とは異なり海外交易を盛んにしていた。中国大陸や琉球との就航には博多経由で長崎五島の奈留浦を基地として東支那海渡航に備えた。「中世通交貿易史」によれば大内氏の中国への第一次遣明船は1538年4月で、3隻が五島を出航するが正副使以下足利幕府役人を含め総員456人の商人就航記録が保存されている。
 物産展には五島列島に伝わるカンコロ餅もあった。カンコロとはサツマイモである。中国渡航の乗組員たちもカンコロを食べたであろうか。
 鎖国時代の窓として諸国との交易により生まれた長崎の味覚には異国情緒が残っている。
        (鱧)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)札の辻
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