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2012年10月20日

札の辻・21

 =中也は母の指を煙草を吸うときのように自分の指にはさみ、そして「おかあさん」と叫び「僕は本当は孝行者だったんですよ」といった。中也の指が母の手から離れ落ちて、中原家から?聖なる無頼?が消えて行った=これは中也の実弟中原思郎の「中原中也と祖先たち」の一節である。
 昭和初期に四季派の代表的詩人中原中也は1937(昭和12)年10月22日に結核性脳膜炎により鎌倉の養生院で短い30才の生涯を閉じた。
 -毎日フランス語の勉強しています。本年四月頃までに出版する契約をしました。帰省してもぼつぼつ仕事はありましょう-中也が病没する以前に母堂へ出した手紙なのだ。
 当時28才だった大岡昇平は中也の臨終に間に合わず棺の前で号泣し、親友小林秀雄は「死んだ中原」の詩を文学界に寄せている。
 あゝ死んだ中原
 たとえばあの
 赤茶けた雲に乗って
 行け何の不思議が
 あるものか 僕達が
 見てきたあの
 悪夢に比べれば-と。
 中也は詩人高橋新吉のダダイズムに感激したが、ランボーやヴェルレーヌのフランス象徴詩の影響をうけて次第にダダイズムを脱し独自の詩風を確立している。
 市内吉敷の墓地にある「中原家累代の墓」の筆太の筆跡は中也が山口中(旧制)3年生での自筆である。     (鱧)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)札の辻
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