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2013年11月09日

札の辻・21

 司馬遼太郎記念館(東大阪市)の会報「遼」秋季号に、伊藤之雄京都大学教授の講演シリーズ第29回に『伊藤博文と井上馨・その後の二人の友情』が載っている。
 要約すると、
=司馬作“世に棲む日日”の中で脇役であった伊藤と井上は、年齢も井上が六つ近く上で、長州藩の身分上にも差は大きかった。だが二人は1859(安政6)年に江戸で知り合い、翌年の5月には共にイギリスへ密航した長州ファイブのメンバーとなる。しかし下関を英、仏、米、蘭による艦砲射撃事件を知り、二人は急ぎ帰国し習い覚えたばかりの、今の中学初年程度の英会話力で外交折衝に入り、長州藩の攘夷活動を中止させようとするが徒労に終った。
 井上は同年の9月、山口で帰宅中に襲撃されて重傷となり、駆けつけた会議仲間の伊藤に『今、われわれが失脚すれば國事は多難に至る。貴様だけは生き延びろ、山口は危険だ速く馬関へ行け』と話しふたりの絆はますます強くなる。
 維新後、長州のリーダーは木戸孝允で、木戸は伊藤を性格は強く正直だと評して伊藤体制が確立されてゆく中で、井上が常に伊藤を支える側に立っていたことは大きかった。=以上が「遼」での論調趣旨である。
 明治初年、菜香亭が開店するとき井上馨が書いた亭名由来と伊藤博文が亭名に寄せた扁額は共に大広間に現存する。(鱧)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)札の辻
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