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2014年11月15日

札の辻・21

 県立図書館のレクチャールームで、真木隆行山口大学准教授による「法体と俗体の大内氏権力」と題した講演を聞いた。
 中世室町期の諸大名は武家でありながらも出家をしている。最初に周防国の守護大名となった大内長弘は、大内豊前権守入道と呼ばれており、次に活躍する大内弘世も出家して道階と名乗っていたという。
 その頃の戦国大名は、北条早雲、武田信玄、上杉謙信、大友宗麟といずれも仏門に出家する。
 大陸の文化が仏教と共に伝達された建築技術によると、奈良東大寺の再建に際しては僧重源から中国の大仏殿的造営技術が利用される。
 東大寺造営に当たって責任者重源は周防へ自ら出向き、徳地の山林から建築材の搬出に尽力する。
 建材が佐波川を利用し瀬戸内海を経て奈良に至ったのは1195(建久6)年であった。
 真木氏によれば大内長弘、弘幸以後の義弘、盛見も出家している。
 仏教伝来は中国から朝鮮半島を経由した。
 百済の聖明王の第三子の琳聖太子は周防に着岸した後、聖徳太子から多々良姓を得る。
 中世文化の充実期には周防、長門の両国から、豊前、筑前、安芸、石見、肥前などに至る行程の日数も決められ、本格的な政治中心都市山口が西の京となる。
 当時山口には学者、僧侶、画人も滞留した。(鱧)


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Posted by サンデー山口 at 00:00│Comments(0)札の辻
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