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店長情報

2005年05月29日

第6回「日本生活情報紙協会エッセイコンテスト」

最優秀賞に静岡県の鈴木ふき江さん
サンデー山口賞は阿部佳美さん

 日本生活情報紙協会が実施した第6回「エッセイコンテスト」の審査結果が発表され、最優秀賞には「リビング静岡」に応募した静岡県の主婦・鈴木ふき江さんの作品が選ばれた。また、サンデー山口の応募の中から選出される「サンデー山口賞」は、大内御堀の主婦・阿部佳美さんに決まった。

 ㈱サンデー山口が加盟している日本生活情報紙協会(JAFNA)は、フリーペーパーが読者にどのように受け入れられているかを探るため、「生活情報紙と私の暮らし」をテーマにしたエッセイコンテストを毎年実施している。
 今年は全国42の加盟社中39社が参加、918点の作品が寄せられた。3段階にわたる審査の結果、最優秀賞(賞金10万円)は、静岡市の主婦・鈴木ふき江さん(61)の「『映画招待券プレゼント』に魅せられて」(応募媒体:静岡リビング社「リビング静岡」)が選ばれた。優秀賞(賞金5万円)は、千葉市の自由業・本間直也さん(62)の「『見たか、読んだか』生活情報紙」(地域新聞社「地域新聞」)と東京都町田市の障害児介助員・丸山和子さん(46)の「はじめの一歩」(サンケイリビング社「リビング新聞」)の2作品に決定。神奈川県茅ヶ崎市の無職・佐藤雄司さん(68)の「素敵なキッカケお待ちしています」(湘南よみうり新聞社「湘南よみうり」)には、審査委員長特別賞(賞金3万円)が贈られた。佳作(賞金2万円)は東京都世田谷区の主婦・山田史子さん(36)の「色の濃い生活」(サンケイリビング社「リビング新聞」)、広島市の非常勤講師・岡野賢吾さん(67)の「定年ショックの救世主」(広島リビング新聞社「リビングひろしま」)、山口県周東町の会社員・沼川宏さん(30)の「後味よかった不用品整理」(防長新聞社「防長新聞サンデーネット」)の3作品だった。
 今回、サンデー山口への応募作品は35点(昨年33点)。その中からの「サンデー山口賞」(図書カード1万円分)は、大内御堀の主婦・阿部佳美さん(55)の「なんでもかんでも生活情報紙サンさま」に決まった。優秀賞とサンデー山口賞は2面に紹介しています。

最優秀作品
「映画招待券プレゼント」
     に魅せられて
静岡県 主婦 鈴木ふき江さん(61)

 2000年5月、還暦を目前にして私の踏ん張りは頂点に達し、重度の〝うつ病〟に陥ってしまった。止むを得ず職場を退職し、一日中閉じこもりの日々が半年余りも続いた。すべての社会生活から遮断され、来る日も来る日も苦しさに苛まれた。心も身体も鉛のように重くて動かない。そんな私に漸く少しずつ光明が差し込んできた頃であった。郵便受けに無造作に投げ入れられてあるフリーペーパーに心が動いた。読書をすることも手紙を書くこともできなかった私の眼と心に、微妙な変化を感じた。それは「映画招待券プレゼント」の応募記事であった。
 「ハガキに住所、氏名、年齢、職業、電話番号、近況をお書きください」
 映画の魅力もさることながら近況報告を無性に書きたい衝動に駆られた。元来、文章を書くことの好きな私に、主治医からは「手紙を書いてはいけません」と、強く止められていた。過度な神経を使うことは回復を遅らせるらしい。最高に苦しかった時は文字を見ることさえできない状態であった。だが、その小さな記事に引き寄せられ「書きたい!」と強烈に思った。医師の言葉も忘れ、それが〝うつ〟脱出のサインのように感じられ、記憶の中に鮮烈に残っている。
 文字に飢えていた私は、応募はがきの余白がないほどにびっしりとその当時の近況を綴った。そして何日かが過ぎ、私の元に「当選、おめでとうございます。」の返事が、一枚の映画招待券と共に送られてきた。今思えばごく普通のできごとである。けれど私が〝うつ〟から脱出できた、細い細い光を灯してくれたあのフリーペーパーの小さな記事。その小さな記事に救われたような気がした。
 大家族に嫁ぎ、3人の子育てから始まって、フルタイムで働き続け、毎日が戦争のような忙しさに明け暮れた35年間であった。当時は振り向きもしなかったフリーペーパーの存在が、私の一筋の光明となる切っ掛けを作ってくれたことは間違いない。それを機会に私の症状は日増しに回復に向かい始めた。乗り越えた後に人生観はすっかり変わり、自然に逆らわず、身をゆだねる術を教えられた。
 それ以来、郵便受けに無造作に入っている生活情報紙は私の身辺を彩ってくれる一つとなっている。丁寧に目を通し、少しでも生活を豊かにしてくれる記事は見逃さない。大切な切り抜きはいつも冷蔵庫のドアに所狭しと張り付ける。何気ないあの「映画招待券プレゼント」の記事が目に止まらなかったら私の回復は、遅れていたに違いない。感謝の気持ちを込めながら今日もフリーペーパーに隈なく目を通している私。読むこと、見ること、書くことの楽しさが、私を豊かにしてくれる。今日のフリーペーパーには映画「北の零年」の公募記事が載っている。「思い立ったが吉日」とばかり私は今日もせっせと応募はがきを書いている。
  

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2005年05月29日

札の辻・21

 季語が柿若葉から桐の花そして麦秋へと移り、四季のうちでいちばん好きな5月が終わる。
 4月のはじめに、まだ土を被っていた孟宗竹のタケノコを掘り出して持ってきた友人が、今度は淡竹のタケノコを届けてくれた。
 タケノコの筍という字には、美味しく食べられる旬は10日間で10日を過ぎると竹になるという意味があると聞いた。
 1736(天文一)年8代将軍吉宗の時、中国大陸は江南地方から孟宗竹が琉球経由で薩摩に渡来したのをきっかけに、日本の気候風土が竹の成育に合っていることにより、九州から東北にまでひろがっていった。
 江戸では1789(寛政一)年に、京橋鉄砲州の海運業山路次郎兵衛が薩摩から孟宗竹を持ち帰り、目黒地区に移植したのが最初で、1832年の江戸大火のときには目黒と湯島の孟宗竹林が焼け残ったという。
 京都の春を代表する料理にタケノコがある。1837年に山科の住人中沢忠太郎が山林を開墾して孟宗竹を植えて以来、桂から山崎あたりまで西山一帯がタケノコの産地となった。とくに嶬峨野、大原あたりが有名で吸い物、木の芽和え、田楽、揚げ物、焼筍などと料理も多彩である。
 ところで淡竹は真竹と共に建築材や農具に利用されてきた。原産地はやはり中国で孟宗竹よりも伝来は古いらしい。
 淡竹と真竹のタケノコは食材辞典に「淡い甘味があり味覚者が珍重する」とあった。
 田植えがはじまりホタルが現われる頃が淡竹と真竹の旬となる。エンドウ豆のむすびに合う。          (鱧)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2005年05月28日

高校生の就職サポーター 就職指導専門員



就職決定率、3年連続で全国トップ3!

 今春、県内の高校新卒者の就職決定率は全国2位の97・1%(全国平均91・2%)で、3年連続の全国トップ3入りとなった。こうした好調な高校生の就職状況を陰で支えているのが「就職指導専門員」と呼ばれる人たち。学校の進路指導担当教員やクラス担任と協力して生徒の就職活動を助ける専門職で、生徒に対する就職相談や、求人開拓のための企業訪問などを行っている。専門員の多くは地域の企業OBなどで、独自の経験や人脈を生かし、就職を希望する高校生の心強い味方になっている。山口県が先駆けとなって導入したこの制度は、全国からも注目されはじめている。

 県が就職指導専門員制度を導入したのは、高校新卒者の就職決定率が過去最低の93・4%になった02年。国の緊急地域雇用創出特別基金を活用し、県内7つの学区に1人ずつ、計7人を配置した。03年からはこれを若者定住のための重点施策に位置づけ、県独自の事業として人員の拡充を行ってきた。
 専門員は、各学区の就職希望者の多い高校に勤務し、近隣の学校の生徒に対しても支援・指導を行っている。現在、県全体で41人、山口・小郡地区には私立高校も含め3人の専門員がいる。
キャリアを生かした支援
 学校教員の業務は多岐にわたっており、就職指導だけに専念することはできない。専門員制度の導入によって、教員だけでは手の回りきらなかった、きめ細かな就職指導が可能になった。また専門員の多くは企業の採用担当や会社経営の経験者。企業の求める人材について熟知しているだけでなく、地域の企業に独自の人脈を持つという強みもある。
 西京高校に配属された真鍋寛さんは機械メーカーの元役員で、県下の企業事情にも詳しい。採用する側として学生・生徒に接してきた経験を生かすために、03年に応募した。以来、毎年200から300件の会社を訪問して地域の求人を開拓する一方、生徒や保護者の就職相談に応じている。時には教壇に立って授業をする事もあり、総合学習「職業ケーススタディー」では生徒一人ひとりに役柄を割り振って、実際の職場で起こるような問題を再現。問題解決に向けて全員で討論する。「今の高校生には、仕事に対して具体的なイメージを持てない子も多い。考えたことをちゃんと言葉にするのも苦手。ケーススタディーなどで職業観を確立し、自分の考えを言葉で表現する訓練を積むことが、就職活動の上で役に立つ」と真鍋さんはいう。
 同校で就職指導を担当している山城毅教諭は「企業との情報交換の上でも、就職に対する生徒の意識づくりの上でも、真鍋さんの役割は大きい」と話している。
数字に表れない効果
 専門員制度が導入された02年以後、県内の高校新卒者の就職決定率は上昇傾向を続けている。県教委は「全国的な景気の好転もあり、一概に専門員制度の効果とは言えない」としながらも「県内就職の比率が上がってきている。専門員による雇用の掘り起こしが進んでいるという実感はある」という。また「どの学校の声を聞いても、専門員の存在は非常に大きな助けになっている。数字に表れない部分でも効果は大きい」とも。
 ただ、予算の関係で勤務日数は週3日、年間105日以内という制約もある。県教委は「報酬は決して多いものではない。あくまで専門員さんの善意の上に成り立っている制度」と説明している。

  

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2005年05月27日

湯田温泉まちづくりプラン策定



 昨年11月に設立された「湯田温泉まちづくり協議会」(宮川力会長、124人)の今年度総会が20日、西の雅・常盤で開かれ、湯田地区の将来像を具体的に示した「湯田温泉まちづくり計画」を策定。25日、市へ提出した。今後10年間をめどに一つひとつの事業を実行に移し、温泉観光地らしい街並みをつくりあげていく。

 まち協は「山口市中心市街地活性化基本計画」に基づく湯田地区のまちづくりを考えようと、料飲・旅館関係者を含む地元の商工業者や民間関係団体、地区住民などで設立。観光景観整備、県道・宮野大歳線整備、総合環境整備の3部会に分かれ、計画策定に向けた調査・研究を約半年間にわたって進めてきた。総会ではその集大成となる同計画案が議案に上り、満場一致で承認された。
 まちづくり計画の対象エリアは、湯田温泉1丁目から4丁目と6丁目にJR湯田温泉駅前通りを加えた商業地域、約49ヘクタール。目指す将来像に「温泉情緒にあふれ、にぎわいのある広域観光客宿泊拠点」を掲げ、①温泉情緒にあふれる回遊性のまちづくり②人と車の共生したまちづくり③住民と観光客の交流とふれあいのあるまちづくり④都市の多様な機能を活用した魅力のあるまちづくり⑤観光客をもてなすホスピタリティあるまちづくり--の五つの基本方針を示した。
 県道・宮野大歳線をヨコ軸(シンボルロード軸)に、県道と交差する湯の町商店街から錦川(観光商業軸)と錦川通り(錦川通り軸)をタテ軸に位置づけ、ヨコ軸とタテ軸が交わる二つの地点に「温泉シンボル拠点」と「歴史文化と観光物産の拠点」を整備するというのが大まかなイメージ。街並みと観光資源の整った「シンボルロード軸」、商業観光地としてにぎわう「観光商業軸」、和をテーマとした散策と食の通り「錦川通り軸」、この三つの軸を中心にまちづくりを広げ、回遊性の高い街並みを形成する。エリア内では現在、湯田温泉街を貫く宮野大歳線と交差または平行する三つの都市計画道路(泉町平川線、一本松朝倉線、東山通り下矢原線)の整備が進んでおり、温泉街を通過しない車の流れもできつつある。
 同計画では「温泉神社の移遷」「アミューズメント施設の整備」「タクシー待機駐車場の確保」「ナイト観光バスの運行」「温泉療養プログラム」「明治維新や文学にまつわる周遊コースの設定」など、実に61もの事業を打ち出している。ただし、実施は行政に限らず、民間企業、関係団体、NPO、町内会などさまざま。また、重点的に取り組む事業として「県道・宮野大歳線街路整備促進」「地区計画まちづくり協定の制定」「温泉モニュメントと共同湯の整備促進」「歴史文化と観光物産の館の整備促進」「店舗改装と業種拡大」の5事業をピックアップした。長年の案件でもある県道(シンボルロード)の整備を円滑に進めるため、沿道の住民や事業者が「地区計画まちづくり協定」を制定。シンボルロードに接する形で、温泉モニュメントや共同湯、足湯などを抱く拠点施設を建設。商店街周辺には資料館や観光物産館を整備するほか、既存商店の店舗改装、新業種の導入を進める--などとしている。
  

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2005年05月27日

亀山銅像の道標(山口市西門前)



 安部橋側に亀山御銅像本道とある石造物を見る。戦前、亀山公園の頂に毛利五家の殿様の銅像が建っており、碑はその史跡を案内するものだった。明治33年除幕された5基の銅像建設の寄付者は10万8525名で、防長人の毛利氏に対する思いを感ずる。「是ヨリ亀山六丁、県庁十一丁」丁は町の略である。

銅像は戦争で供出されたが、山口の歴史を感じる道標である。(ニコンF4 70㍉ F8 1/125秒)  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)山口周辺

2005年05月25日

若者・女性に起業ブーム 20代・30代の相談が急増



 1円起業、週末起業、サラリーマン起業、ひとり起業と、世の中はまさに起業ブーム。2000年春のITバブル崩壊でネットベンチャーブームは静まったが、長引く不況の中、再び新たな事業を起こそうという起業家が全国で増えている。そして、そんな人たちをサポートする動きも活発化。起業支援に早くから取り組んだ山口市でも、30歳前後の若者を中心に創業志望者が増加中だ。


 「自分の能力を試したい」「働きに合った収入を得たい」「自らの判断で仕事をしたい」――。成長意欲の強い積極的な若者起業家が、ここ数年増え続けている。業種は、かつて一世を風靡したIT関連から、アパレル、飲食、住宅、教育などライフワークに密着したものへと移行。こだわりや新規性の強い商品の開発、今までにないサービスの提供、クリエーターと、ベンチャービジネスやニュービジネスに人気が集まっている。
 その背景の一つにあるのが、国や自治体の支援施策をはじめ、金融機関ベンチャー投資会社からの資金援助、起業支援機関の設立といったサポート態勢の強化。03年に時限立法としてスタートした資本金1円から会社を設立できる最低資本金の特例制度「1円起業」は、施行から約2年で利用件数(全国)2万件を突破した。県においては「起業化支援資金」に加え、山口銀行などと共同で立ち上げた「やまぐちドリームファンド」を04年から運用。国民生活金融公庫では今年4月から、30歳未満を対象にした開業ローンを新たに設けるなど、融資制度も着実に充実してきている。また、市では融資のほかに、少額ながら比較的ハードルの低い「起業化支援補助金」を創設。ソフトウエア業、デザイン業等の新規事業者らに対し、事業所開設費上限100万円、販促費上限20万円、通信費上限1カ月5千円などを補助している。
 市設置の相談窓口・山口市産業コーディネーターの中村伸一さんは市内の様子を「起業を考えている人40人、起業に強い関心を寄せている人100人以上。業種は広告代理店、飲食店、ブティック、建設関係とさまざまで、20~30歳代の若年層と女性が目立つ。今後は学生の起業も大いに見込まれる」と説明。山口商工会議所内の山口地域中小企業支援センターでも、相談の約6割が創業に関する内容で、ここ最近20歳代の相談者が急増しているという。
 しかし、起業ブームの一方で、設立後3年を待たずに倒産に追い込まれるケースが後を絶たないのも事実。3年後に生き残っている会社は1割~2割といわれるように、社会はそんなに甘くはない。「将来のライフプランをしっかりと立てる、セミナーや交流会などに積極的に参加して情報や協力者、仕事をつかむ、良きアドバイザーを持つことが大事」と中村さん。彼がこれまでにかかわった起業家は今も元気に事業を。人脈づくりやスキルアップ、ITを活用した情報発信などが経営のキーポイントとなっているようだ。
  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース

2005年05月25日

魚の名前

 鰊(ニシン)・鮒(フナ)・鰤(ブリ)・鰈(カレイ)・鱈(タラ)・鯒(コチ)・鯖(サバ)・鮪(マグロ)などなど。先日、水屋の整理をしていたら奥の方から、どこかのすし屋さんで貰ってきたらしい湯のみが出てきた。両手で持っても余るほどの大きな湯のみで、それには魚の名前が一面書いてあった。カナがふってあるので嬉しい。カナがなければこんな漢字は読めない。声に出して次々と名前を読んだ。
 これと同じ湯のみの写真をどこかで見たことがあると思った。そんなに昔ではない、ついこの間という記憶がある。めぼしいところを探したがみつからない。探すのを諦めて何時だろうと、本箱の時計を見たら、あった! そこにちゃんと並んでいた。「魚の名前」、川崎洋著、いそっぷ社刊。その表紙にあの湯のみと同じ写真が使ってあるのだ。面白い魚の話がザクザクと出てくる。
 “フクは、海底にいるヒトデや貝など毒のある生物を食べ、その毒を蓄積する。試しに稚魚の時からアジやオキアミなど無毒の餌で育てたら毒がなかった”。そうなのか、とびっくり。しかし、続けて“素人判断で食べるのは危険”とある。
 ウマズラハギ 川崎洋
魚の顔が馬づらに似ていることに/びっくりする/しかし/人の主な骨組みや/眼 耳 内臓の作りが/魚のそれと基本的には同じであることに/もっと驚く
 鯵(アジ)・鮫(サメ)・鰯(イワシ)・鰆(サワラ)…湯のみ片手に本を夕暮れまで読みふけった。  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)おんなの目

2005年05月22日

今年こそ、ホタル来い!



環境は申し分なし
維新公園内の「ホタル水路」

 そろそろ初夏の風物詩、ホタルのシーズンを迎える。市内には一の坂川や吉敷川、仁保川、椹野川上流など、たくさんのホタルスポットがあり、毎年多くの人たちが川面に漂う幻想的な光の〝ショー〟を楽しんでいる。そうした中、県は03年秋に吉敷の維新百年記念公園内にホタルの生息に適した「ホタル水路」を整備。新たな名物スポットにするはずだったが、幼虫の放流中止などで昨年はホタルの飛ぶ姿がほとんど確認されなかった。ホタル水路には遊歩道もあり、観賞には絶好のポイント。2年目のシーズンを迎える今年、ホタルの乱舞は見られるのだろうか。

 維新公園の東側、第2球技場そばには吉敷川から流れ込む約150㍍の用水路がある。以前は底がコンクリート打ち、両岸に御影石を積んだ直線的な3面張りで、人工的な造りになっていた。こうした環境下でも、毎年シーズンになるとホタルの成虫が何匹か確認できていたため、県は03年3月に用水路を自然の小川に近い「ホタル水路」(都市公園整備事業)に生まれ変わらせるための工事を開始。事業費は約6千万円で、同年11月に完成した。
 水路には、瀬・淵・中州などを設けるなど流れに変化をつけ、川底に自然の小石を入れた。両岸にはホタルの産卵やふ化に適した軟らかい土を敷き、比較的草丈の高い草本類を植栽。また、車いす利用者を含め、立ち寄った人たちが水際に近づいたり、散策を楽しめるよう、木製の遊歩道やベンチなども設置。ホタルやそれを観賞する人にとっては申し分のない環境が整った。
 県は当初、完成時に幼虫の放流を予定していたが、「何らかの事情」(県山口土木建築事務所)により中止。完成後間もないということもあってか、昨年は土木事務所の職員が幾つか飛んでいるのを確認しただけで、一般の人の目に触れることはほとんど無かった。
 手早くホタルを増やすには幼虫の放流が最も効果的だが、そう簡単にはいかない。市内の大半の地域は、山口ゲンジボタル発生地として天然記念物指定されており、勝手にホタルを採集することはできない。飼育・放流についても特別な許可やそれに関わる団体の協力が必要になる。また、水系によりホタルのDNAが微妙に異なるため、むやみに放流しない方が良いという意見もある。
 県は水路への幼虫放流を現在のところ予定しておらず、自然増加していくことに期待。このため、土木事務所の職員は、他の業務の合間をぬって近くの川から幼虫のエサとなるカワニナを捕まえ、水路に放流するといった努力もしている。
 ホタルに詳しい市文化財保護課の磯部貴文さんは「条件によって発生状況は変わってくるが、最低5年間は様子を見ることが大切。断定はできないが、水路の近くにはホタルが多く生息する吉敷川と木崎川が流れているので、近い将来、ホタルの乱舞が見られるようになるかもしれない」と話している。
  

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2005年05月22日

札の辻・21

 5月29日は歌人与謝野鉄幹に恋いこがれ、世間の常識に抗しながらついに妻の座を得た与謝野晶子の白桜忌である。
 晶子は1942年の初夏、東京荻窪の自宅采花荘の庭が新緑に燃える中で狭心症により64歳の生涯を閉じた。
 夫の鉄幹は、青春時代に周防徳山で女学校の教師をしながら、教え子の浅田信子との恋に陷ち、夢と波乱の人生を歌と共に生き、やがては晶子と結ばれるが彼女より7年早く1935年3月死去し鉄幹忌とされている。
 「みだれ髪」「舞姫」「白桜集」などの歌集があり晶子は歌人として評価されるが、彼女の詩はあまり知られていない。
  代表的なものに、

 あゝ君死にたまふことなかれ、末に生まれし
 君なれば、親のなさけは勝りしも……

 の一編がある。この詩は日露戦争での作で、ひとりの若い女性が戦争についてはっきりと発言していることは、当時の日本の国家体制からみて驚くことであった。あの太平洋戦争でも多くの詩人たちが、戦争賛歌の詩を書いていることを思うとき、晶子の詩精神の峻烈さを感じさせられる。君死にたまふことなかれの詩には「旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて」の副題までついている。近代詩の歴史においてただひとつの反戦詩だった。
 晶子には次のような5月の詩もある。

 五月雨と私
 ああ、さみだれよ
 そなたのみ、わが名も
 骨も朽ちる日に、
 埋れた墓を洗ひ出し
 涙の手もて拭ふのは。

 晶子と鉄幹の墓碑は東京多摩霊園に並んで建立されている。
         (鱧)

  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)札の辻

2005年05月21日

隠れスポットは―砂防ダム

古代遺跡? キャニオン? ディズニーシーも“親せき”

 小郡町中心部を流れる大歳川を伝って上流に進むと、目の前に現れる巨大な岩。遺跡か、それとも砦、いや大峡谷?…。しかしよく見ると、岩肌に水抜き穴がある。実はこれ、土砂の流出などを防ぐ「砂防ダム」。意外に知られていないが、葛西臨海公園やディズニーシーの建設にも携わったアメリカの技術者集団が手がけた代物だ。山奥にひっそりとたたずませておくのは、非常に惜しい。

 大歳川の砂防ダムが完成したのは96年。景観や生態系との調和を重視した公共工事が盛んに行われた時代で、この砂防ダムも、国の「水と緑豊かな渓流砂防事業」を活用して県が5年がかりで取り組んだ。当初計画では、砂防ダムの建設に合わせて周辺一帯を自然公園として整備するはずだったが、下流住民の理解が得られず公園化事業は断念。結局、景観重視のダムと下流に向かうわずかな距離の渓流が整備されたところで工事は打ち切られた。防災目的のダムは大々的にお披露目されることもなく、静かに完成を迎えたわけだ。
 しかしながら、総事業費は4億2900万円。地元との調整よりも事業が先行したのか、ダムは実に独創的な建造物に仕上がっている。それもそのはず、仕上げの修景工事を行ったのは、ユニバーサルスタジオをはじめ数々のアトラクションを手がける一流企業・ラーソン社(アメリカ)の技術者チームと、元請けの多々良造園。建設業者が造った通常の砂防ダムの表面を、アメリカの材料を使った特殊な疑岩で覆い、巨大遺跡を思わせるような石組み風に改良したのだ。アーティスト的な要素を持つ技術者たちは、水抜穴の配置で岸壁に“顔”を表す遊び心も見せている。
 小郡町では、町役場西側にある禅定寺前山のふもと一帯、其中庵から栄山公園を経て砂防ダムに至るエリアを「栄山自然観察の森」と名付け、遊歩道や展望台などを設けているが、ダムを知る人はまだ少ない。ハイキングにはもってこいの季節、町内から山口市街までを見渡せる展望台もほど近い砂防ダムに、散歩がてら出かけてみてはいかがだろう。
  

Posted by サンデー山口 at 00:00Comments(0)ニュース